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広島市の高速鉄道網計画と

路面電車の整備

佐藤信之

 

記事:『鉄道ジャーナル』平成11年11月号掲載。

注:入稿後の修正については反映しておりません。また、図・表も省略しています。

  広島市では、久しぶりに大規模な路面電車の新線計画が検討対象にあがっている。地下鉄や新交通システムの都心乗り入れなど、市内の公共交通整備の選択肢は多いが,日本にも初めて近代的な路面電車が実現するものかと期待される。

 本稿では、現在までの鉄道、軌道計画の推移と、議論の推移について、紹介しようと思う。また、あわせて、広島電鉄の概要についてもふれる。 

広島都市圏の総合交通計画

 広島市は、昭和42年度から44年度にかけて、当時の広島市域と周辺13町の広島都市圏を対象に,パーソントリップ調査を実施した。パーソントリップ調査とは、無作為抽出した世帯に対して交通の目的や移動先などを訪問調査して、交通の現況を把握し、将来の交通需要を予測するために実施されるものである。HATSHiroshima Area Transportation Study)と呼ばれ、日本で初めての本格的な総合交通計画調査であった。

 この調査に基づいて、放射・環状型の都市高速道路網とあわせて広島駅−西広島駅間と横川−十日市間のデルタ内を逆T字型に結ぶ2路線の地下鉄が提案された。これらの地下鉄は、横川駅で国鉄可部線に、広島駅で国鉄呉線に,さらに西広島駅で広電宮島線との直通乗入れを想定していた。

 その後昭和45年度には,国,県,市と商工会議所で構成する広島都市交通研究会が組織され,昭和48年度HATSを修正した新しい総合交通計画(HATSU)が提案された.

 このHATSUで提案された地下鉄計画は,横川駅−紙屋町−平和大通り−稲荷町−広島駅−矢賀駅間のデルタ内をU字型に結ぶ鯉城線約8.1kmと、市街地を東西に横断する西広島−紙屋町−稲荷町−向洋駅間の東西線約9.7kmの2路線である。既設路線との乗り入れについても新しく矢賀での芸備線との相互直通運転が付け加わった。

 そして、この路線網計画のうち,とくに鯉城線の横川駅−広島駅間の路線が優先されることになった。昭和50年中国地方陸上交通審議会答申でも、国鉄可部線を高架複線化して、地下鉄と一体的に整備することが盛り込まれた。市北東部の太田川の上流域では、狭い谷筋に交通が集中することから交通混雑の問題が深刻であり、とくに国道54号線は4車線の道路を時間帯によって車線数を変更して対処していた。

 しかし、この頃あいにく、国鉄の赤字問題が深刻化していた。国鉄には、単線の地方の赤字路線である可部線に設備投資する余裕はなかった。

 そこで、建設省が昭和49年度から実施している中量輸送機関の整備に対するインフラ補助に着目した。中量輸送機関を道路の一部として位置付けて、そのインフラ部を道路と一体的に整備するという制度で、おりしも国道54号線の混雑緩和のための祗園新道建設計画があったことから、これに新交通システムを併設する方向で調整が進められた。 

アストラムライン計画

既定区間

 昭和52年7月都市計画地方審議会は、国道54号線祗園新道の都市計画決定にあたって「新交通システムの導入促進を図ること」との付帯意見を付けた。広島城に隣接する官庁街の中の基町から山陽自動車道に接続する佐東までの区間が対象であった。これで、新交通システムはお墨付きを得たことになったが、すでに広島市は地下鉄計画を持ち、関連して可部線複線化が陸上交通審議会で確認されていたため、相互の調整が必要となった。また、都心側ターミナルの位置の選定についても建設省は地下鉄との乗換の利便性と終点の位置についての詳細な検討を求めた。

 広島市は、昭和52年度にHATSの改定について調査を開始、その一環として建設省の都市モノレール等調査費補助金の交付を受けて、昭和53年度から新交通システムの調査を開始した。昭和53年度には路線計画、運行計画、採算性について、また54年度には都心ターミナル位置が検討された。そして、昭和53年度親道路となる祗園新道の用地買収に着手した。

 しかし、その後は、広島市長が昭和55年、58年、60年市議会で再三準備を進めている旨説明したが,事業は順調には進まなかった。

 事業着手が遅れた背景には、都心部の路線計画の問題があったようである。新交通システムの計画路線のうち、白島駅の南、新幹線の高架下を抜けたところから都心側の区間を地下路線とした。高架にした場合、中央分離帯のない区間では歩道上に支柱を建てることになり歩道が狭くなってしまうこと。東西方向に計画される地下鉄との乗換の便を図ること。都心部に幅員不足の街路があること。都心部の歴史的、文化的景観を保存するために、地下路線にしたという。

 おりしも昭和60年1月25日、運輸省広島陸運局は、広島都市圏の公共交通整備のマスタープランとすべく中国地方交通審議会に対して「広島県における公共交通機関の維持・整備に関する計画について」を諮問した。これは62年11月18日に答申が提出され,広島市北西部と広島市中心部を結ぶ新交通システムの導入が盛り込まれることになる。

 また、広島市は昭和55年に政令指定都市に昇格。これを記念して1990年アジア競技大会の誘致を図った。しかし、同時に中国の北京市が立候補したことから、昭和59年9月ソウルで開かれたアジア・オリンピック評議会総会では、1990年は北京で開催して、異例のこととして1994年の広島開催を事実上決定した。正式決定を前に、昭和61年3月、政府は、1994年の第12回アジア競技大会を広島市で開くことを閣議了解した。新交通システムは、アジア大会会場への観客輸送という使命が加わることになる。

 ところで、広島市は、都心部の地下区間についても、建設省のインフラ補助の適用を希望したが,これに対して運輸省と建設省の管轄権限の問題が発生した。詳しいことは分からないが,新交通システムを地下に入れることに運輸省が難色を示したのではないかと推測する。 そこで運輸省は、広島での新交通システムの地下区間を地方鉄道法に依拠した地下鉄として地下鉄建設費補助制度を適用することを考え、昭和61年度予算で第3セクターに対する地下鉄建設費補助制度の創設を要求した。しかし、これは昭和60年12月、61年度予算大蔵省案で認められなかった。代わりに、当時立法準備中であった鉄道事業法で盛り込まれる予定であった第3種鉄道事業を適用して、公共主体が地下鉄建設費補助の交付を受けて路線を建設し、新交通システムの運営主体である第3セクターが第2種鉄道事業者として運営する方法も検討されたが、これも実現しなかった。

 とりあえず昭和61年度建設省によるインフラ補助事業に採択されたことから、4月より軌道法と地方鉄道法の両方からの事前協議を実施した。そして7月からは改めて関係省庁にて第3セクターへの地下鉄建設補助の適用を検討することになり、12月には広島市選出の国会議員に調整を依頼することで状況は好転した。

 最終的に、地下区間1.9kmのうち、県庁前駅までを地上から地下への遷移区間と解釈して建設省のインフラ補助の対象として、国道54号線の付帯施設として建設。残る本通駅までの300mの区間だけが鉄道事業法を適用して、地下鉄建設費補助が認められた。これを受けて昭和62年7月に軌道法による特許と地方鉄道法による免許についての建設省と運輸省の本協議が開始されることになる。

 ようやく全線の事業着手の環境が整ったことで、昭和62年12月1日第3セクター広島高速交通が設立された。昭和62年10月6日に日本開発銀行の第3セクターに対する出資にかかる政令改正があったことで、広島市と民間企業に加えて日本開発銀行の出資を得ることができた。広島高速交通は、昭和63年3月14日特許と免許を申請。同年8月県庁前−長楽寺間の特許と本通−県庁前間の免許が交付された。都市計画法による手続きを済ませ、平成元年2月28日に工事着手することになる。

延伸区間

 広島市は、平成元年5月「第3次広島市基本計画」を策定して、「国際平和都市」を都市像とする、世界に開かれた総合的な都市機能と広域的な拠点性をもった活力ある都市づくりを表明した。そして、この理念を実現するための1つとして、同年11月官民協力による広島西部丘陵都市建設実施計画を策定し、この新都市を西風新都と名づけた。広島市の西北部に広がる4,570haの広大な地域に、住宅団地を中心に工業、流通、学術研究地域などを造成するという10万人規模のニュータウン計画であった。平成6年の入居開始を予定するとともに、同4月には市立大学を開校し、また10月には域内の広島広域公園をメイン会場として第12回アジア競技大会が開催されることになった。

 そして、この日程に併せて、平成6年秋までに新交通システムを開業させることに決まる。

 まず平成2年3月市長により市議会で延伸計画が発表され、同年10月4日には既存事業者として広島電鉄と協定書を締結した。そして10月8日に長楽寺−広域公園間を軌道法に基づいて特許を申請して、翌年3月5日に特許が交付されることになる。

 延伸区間は,平成3年10月に工事に着手し、アジア競技大会開催の約1カ月半前の平成6年8月に,本通−広域公園前間18.4kmの全線を開業した。開業に当たって愛称が公募され、「アストラムライン」と名付けられた。

 アストラムラインの開業では、従来都心部へ直通していたバス路線を原則廃止として、アストラムラインに接続するフィーダー路線に改編。中筋、大町、上安駅の3駅にバスターミナルが建設された。それぞれ500台程度の駐輪場を併設し、とくに上安駅では広島高速交通が市の整備した人工地盤を活用して、店舗経営を行っている。

 また、JR可部線に、乗換え駅として大町駅が新設された。 

財源と補助金

 広島高速交通は、資本金100億円で、そのうち広島市が51億円、日本開発銀行が10億円、残りを民間企業39社が出資した。

 新交通システムには、建設省のインフラ補助の制度が設けられており,インフラ部を道路施設として道路管理者が公共事業として建設を担当することになる。そして、この制度のもとでは、その路線が併設される道路の種別により,建設主体と建設財源の枠組みが異なっている。

 また、この場合、インフラ補助の対象となるインフラ部の工事費は、各年度の全体事業費にインフラ率を乗じた金額(本稿では補助対象インフラ工事費と記す)を上限としている。実際にインフラ部にかかった工事費ではない。インフラ率については、昭和62年度〜平成2年度は57.0%、平成3年度と4年度は54.4%、5年度以降は59.9%と時期によって変化している。そして、実際にかかったインフラ工事費の一部が補助対象から漏れることになるわけであるが,この分については、市の単独事業として市が全額負担することになっている。

 すなわち、全線18.4kmの路線区間は、昭和63年に免許、特許を取得した既定区間12.7kmと、平成3年に特許を取得した延伸区間5.7kmに大きく分けられる。さらに、既定区間のうち、国道54号線バイパスの祗園新道区間7.1kmが建設省の直轄区間で、祗園新道から分かれて高取までが広島市施工の街路区間、さらに高取から既定区間の終点に当たる長楽寺までが地方道区間として広島市の施工区間となる。なお、延伸区間5.7kmについては、全区間地方道区間で、広島市が建設を担当することになった。また、いずれの区間についても営業用施設であるインフラ外部については運行主体の広島高速交通が建設した。都心の県庁前−本通間0.3kmについても、鉄道事業法による免許区間であるので、建設省のインフラ補助制度とは異なり、トンネル等下部構造物を含めて、施設のすべてを広島高速交通が整備を行った。

 既定区間は、昭和61年度建設省のインフラ補助の対象事業として採択され、そのうち古市−長楽寺間の市の施工区間に対しては、各年の補助対象インフラ工事費に対して、昭和62年度から平成2年度については52.5%(5.25/10)、平成3年度と4年度は55%(5.5/10)、5年度以降は50%(1/2)の国庫補助が実施された。

 また、祗園新道区間については、建設省の直轄工事となるため、国の負担率は、昭和62年度〜平成2年度55%(5.5/10)、平成3,4年度60%(6/10)、平成5年度以降2/3で、残りが市の負担部分である。延伸区間についても、古市−長楽寺間と同率の補助率が適用されるべきであったが、市が工事を急いだことから、建設省側の予算の都合上、市の負担分が大きくなった。その結果、直轄区間の総工事費は480億円であるのに対して、国費は289億円、市費は191億円。市の施工区間については、既定区間の方が国庫補助108億円に対して市の負担126億円。延伸区間は国47億円、市126億円である。

 地下高速鉄道区間については、運輸省からの地下高速鉄道建設費補助制度が適用されたが、広島高速交通の場合、建設費から総経費を差し引いた補助対象経費×有償資金控除0.9×補助率0.70を国と地方との折半で、そして開業の翌年度から10年分割で交付されることになる。平成6年度に開業したので、平成7年度から17年度の間補助金が交付される。

 ちなみに、地下鉄部の工事費は総額240億円で、そのうち補助金は136億円で国と広島市が68億円ずつ交付した。また、地下鉄部分には出資金100億円のうち12億円と借入金92億円が充当された。

 なお、経営支援策の一環として地下鉄部の工事費を便宜的にインフラ部とインフラ外部に分け、インフラ部に充当した借入金の利子について、平成7年度以降市が補助することになった。内訳は、地下鉄建設費補助が開業翌年度から10年の分割交付であるために、つなぎ資金として借り入れた分に対する金利27.8億円と、7年度以降36年度までの間に支払わなければならない長期借入金に対する利子62億円の合計89.8億円である。

 一方、延伸区間については、ニュータウン造成にともなう都市基盤施設の先行整備という側面から、地価の上昇によって生ずる開発利益の一部を整備費用に還元する方式がとられた。

 平成元年3月現在、民間ディベロッパ16社の所有する土地の価格が1,200億円であったが、これが交通施設や下水道の整備により2,000億円に価値が上昇すると見込まれ、その差額800億円が開発利益として計算された。ディベロッパと市の間で「広島西部丘陵都市の根幹的都市基盤施設整備に係わる開発者負担要綱」について合意を得て、このうちの半分約400億円を、公共部門の社会基盤整備の費用として負担させようということである。そのうち新交通システムに充当されるのは総額173億円で、内訳はインフラに対して70億円(うち20億円は道路開発資金)、インフラ外に103億円が計画された。

 開発利益の還元方法は、ディベロッパが400億円分の土地を提供し、市は特別会計を設けてこの土地を売却して基盤整備費用に充てるというもの。延伸区間のインフラ外部の整備費用については、全額この特別会計からの補助金で賄われる計画であった。 

公共交通網計画−八十島委員会の提案

 昭和42年代に策定された総合交通計画は、すでに20年以上経過して、背景となる都市環境は大きく変化していた。そこで、昭和62年度にパーソン・トリップ調査を実施して、平成22年度を整備目標とする新たな広島都市圏交通計画の策定を目指した。この計画は、道路網計画と公共交通網計画とから成り、相互の適正な機能分担を図ることを目的としていた。道路網計画は、円滑な道路交通を確立するため高規格幹線道路や放射、環状型の主要幹線道路などを整備するというもので、その後平成4年8月の自動車専用道路網計画として明確化された。

 一方、公共交通網計画は、平成3年2月に,学識経験者,国,県及び市で構成する「公共交通施設長期計画策定委員会(八十島委員会)」を設置した。平成4年7月検討結果が報告され、α型の軌道系交通機関を導入して既存のJR線、広島電鉄線とあわせて、基幹的公共交通網の形成を目指す計画が提案された。いわゆる八十島提案である。すなわち、当時計画中のアストラムライン(広島新交通1号線)の都心側終端を伸ばして出島沖の埋立地ポートルネッサンス21地区に至る南北線。郊外の終点駅広域公園から西広島駅に至る西部丘陵都市線。および西広島駅−平和大通り−広島駅−新広島駅(東広島貨物ヤード跡)間の地下鉄東西線の3路線である。東西線はJR山陽本線と広島電鉄宮島線との直通運転を想定した。また、南北線には経由地によって吉島ルート案,宇品ルート案の2案が併記されていた。

 そして、東西線及び南北線の一部(本通り〜白神社間)をT期整備区間とし、西部丘陵都市線及び南北線の残りの区間をU期整備区間とするとした。

 広島市は、この提案について、平成4年8月から7年度にかけて検討した結果、東西線の相互乗り入れ方式による地下鉄方式が、車両購入費や乗り入れ路線との接続部の改築に膨大な投資が必要となると判断。加えて,少子化・高齢化の進展で,都市圏人口やトリッブ数の伸びが鈍化していることから、利用者予測を八十島提案時にくらべて5割〜6割と大幅に下方修正する必要が生じた。このため、地下鉄のような大量輸送機関から新交通システムなどの中量輸送機関を軸とした計画への見直しが求められることになった。 

都市交通問題調査特別委員会での検討

 平成8年9月,市議会に「都市交通問題調査特別委員会」を設置して、都市高速道路と軌道系交通機関の導入についての調査研究が進められることになった。

 軌道系交通機関については、平成9年2月以降八十島提案に盛り込まれた東西線,南北線,西部丘陵都市線の3路線について,その投資可能性について検討が加えられた。西部丘陵都市線は比較路線として新井口接続、五日市接続を、また東西線については3セクが地下鉄を建設してJRが乗り入れる方式。市営の小型地下鉄とする方式。新交通システムを高架で建設する方式。同じく新交通システムを地下に建設する方式。地下と高架を組み合わせたLRTによる方式が検討対象にあげられた。しかし、無条件で採算をとることが可能なのは東西線をLRTで整備する方式だけで、さらに東西線を高架による新交通システムとして西部丘陵都市線と一体的に整備した場合には採算可能という結果であった。ただし、LRTには補助制度がないという問題もあった。

 そして、平成9年12月には,これらの検討案の中から西部丘陵都市線西広島駅接続案、東西線新交通システム高架案、新交通システム地下案、南北線広大跡地までの区間整備案が「重点検討案」に取り上げられ、検討が進められることになった。ここで、平成9年6月都市計画中央審議会の答申で提案された「都市の装置」の考え方を取り入れて、インフラ概念の拡大を検討項目としたことが注目される。高架方式では、従来インフラ外とされていた車両の留置線、走行路面、軌道の工事費までを公共負担とするというもの。地下鉄については従来インフラ概念自体がなかったが、新交通システム同様にインフラ部を規定して、このインフラ工事費のうち出資金と補助金で賄えない分について市が負担するとした。さらに、インフラ部の対象施設をさらに拡大して公共負担を厚くするケースについても検討された。また、東西線については西部丘陵線とあわせて一気に全線を開業させる場合のほか、西部丘陵線を西広島まで開業させた後に白神社まで部分開業させるという段階的整備案などを含めて、その採算性について分析が加えられた。その結果。採算可能なモデルは、東西線を高架方式ないし地下方式で整備し、しかも1期広域公園前−白神社前間、2期白神社前−広島駅間、南北線本通−広大跡地の段階的整備とするケースであった。なお、南北線はいずれも地下方式である。どのケースでもインフラ概念を拡大して最大限の市の負担を前提としており、東西線高架の場合総事業費2,200億円で、そのうち市は975億円の負担が求められることになる。地下方式で建設する場合は、総工事費3,000億円で、市の負担は1,880億円となる。

 広島市による公共交通整備の検討が進められている中で、平成9年12月、広島電鉄は「路面電車の活性化とバスとの結節改善計画概要書」を提出。新規計画路線として、平和大通り線、路線の見直し計画として広島駅前大橋線、比治山下稲荷町線を提案した。平和大通り線は、西広島から土橋間に曲線個所が多くて時間を要することから、西観音から白神社間の平和大通りの南側側道に軌道を移設(正確には西観音−土橋間を廃止して西観音-白神社前間に軌道を新設)するというもの。後者は、比治山下−稲荷町−広島駅前間に新線を設けて、比治山下−的場町間と稲荷町−広島駅前間を廃止するという計画である。

 平和大通り線は、専用橋の工事費12億円を含めて総事業費が34億円で済む計算であったが、提案後専用橋の側道の嵩上げが必要なため、沿道に対する補償が膨大となること。交差点処理が複雑となること。水道幹線の移設が必要なことなどが判明し、事業費は280億円となるとされた。そこで、会社は平成10年8月5日改めて、平和大通りの中央に敷設する方式を提案した。広島市が計画中の平和大通りの再整備案で中央分離帯とされている場所を転用しようという計画である。直接工事費は24億円で、そのうち舗装工事やセンターポールの工事費の13億円が建設省の補助金制度により公共負担となり、事業者負担は11億円にとどまることになった。ただし、この数字には途中の橋梁3箇所の架け替え費用が含まれないが,これは3橋とも昭和20年代の架橋で老朽化しており、市でも架け替えを計画しているためである。広島市の見積もり額は、3橋の架け替えに150億円、平和大通りの再整備費として30億円である。また、広島電鉄が用意する低床車両は別に導入計画が進められており,また西広島駅の線路の付け替えについても、平成11年度にすでに事業化されているので、新線の事業費には含まれない。

 広島電鉄の提案を含めて、東西線の新交通システム高架、地下案の3案について比較検討がなされたが、新交通システム案は西広島駅で1時間最大路面電車32本と新交通システム30本であわせて18,940人の輸送力を持つのに対して、路面電車だけでは1時間40本で9,440人にとどまるということ。新交通システムが最高時速60km/hであるのに対して路面電車は40km/hと低速なため、西広島−白神社前間を新交通システムは5分ないし6分で結ぶのに対して路面電車は10分〜12分を要すること。それに、東西軸を路面電車で整備する場合、西風新都や貨物ヤード跡地とのアクセスの課題を残すことになるとした。論旨は、路面電車と高速交通機関とは機能が違うので、それぞれ役割分担して整備しようということなのであろう。また、新交通システムの整備には10年単位の時間がかかるのに対して、路面電車の方は中短期的に実現できることから、両者を組み合わせて時間差をもって段階的に建設するのが望ましいとする意見も見られた。

 特別委員会は,平成8年9月から最終回となった平成11年1月まで計12回開催された。その結果をふまえて、平成11年3月市議会において,「東西軸等の新たな基幹交通に新交通システムを導入し,路面電車,バスを充実することが望ましい」旨の特別委員長報告がなされた. 

広島電鉄による経営努力と輸送改善

 ここで簡単に広島電鉄の概要について説明する。

 広島電鉄は、平成9年度鉄軌道事業の営業収益71億円余りに対して、営業利益は5億円であり、営業収支率は107.5の黒字である。自動車事業が14億円の赤字であるので、全事業経常損益は6千万円余り赤字を計上した。路線バスの不採算路線への補助などを特別利益として受け入れて,当期利益は4億円となり下期8%の配当を実施した。

 つぎに鉄道事業と軌道事業の経営の推移をたどると、軌道線の宮島線への直通を開始した翌年にあたる昭和34年度は、鉄道事業の固定資産収益率が5%であるのに対して軌道事業は7%であった。これが、軌道事業の全盛期となる昭和40年度には鉄道が6.3%、軌道0.4%と、軌道事業の低下が目立つ。また、経常利益率では鉄道が1.2%、軌道−2.9%で、いずれも営業外費用のうち支払い利息が大きかった。昭和30年代高度経済成長期の設備投資の結果であろう。

 その後、昭和50年度の固定資産営業利益率は、鉄道−3.5、軌道35.9%。昭和60年度、鉄道−9.2%、軌道27.0%。平成7年度、鉄道−0.2%、軌道24.4%のとおりである。鉄道の営業利益率がマイナスである一方で、軌道の利益率は高かった。宮島線への直通を拡大していった時期に当たることから、西広島で乗り換えずに都心まで行ける利便性が、軌道事業の活性化にもつながったのであろう。広島都市圏の外延化によって、宮島線の旅客は、昭和53年度には1,408万人まで減少したのが、その後増加に転じて、昭和60年度1,609万人、平成2年度1,813万人、7年度1,998万人、9年度2,072万人へと増加が続いた。それとともに軌道線の旅客も昭和57年度の3,790万人を底に、昭和60年度3,837万人、平成2年度4,388万人へと伸びることになった。しかし、平成3年度に4,534万人を運んだ後は伸び悩んでおり、平成7年度からはわずかながら減少している。

宮島線の輸送改善

 もともと広島電鉄は軌道の市内線と鉄道の宮島線は別々に建設されたもので、鉄道線の広電西広島駅と己斐は隣り合わせにあるものの、利用者は一旦下車して乗換えなければならなかった。今日のように、軌道線の車両が宮島線に乗り入れるようになったのは昭和33年のことである。

 直通ダイヤの推移を追うと、昭和44年頃は広島駅発9時13分から17時09分まで15分間隔の運転。昭和55年には、その時間帯が広島駅9時14分から18時43分までに拡大した。なお、直通便の間に西広島と廿日市間の鉄道線内の区間運転が入るので、西広島口の運転間隔は7〜8分間隔であった。また、朝の上りについても、西広島7時26分から8時20分の間に、広島駅行き5本、宇品二丁目行き1本、広電本社前行き4本を運行した。

 その後、昭和60年3月にはJR山陽本線の増発に対抗して、直通ダイヤが,朝夕10分間隔、日中12分間隔に大幅に拡充され、さらに、平成元年7月のダイヤ改正では、運転間隔を6〜7分に短縮して、鉄道線内の折り返しは朝夕のごく一部を除いて消えることになった。

市内線の輸送改善

 市内線については、昭和38年に軌道敷内への車両の乗り入れが認められたこともあって、軌道の旅客数は昭和41年をピークに減少することになった。これに対して、道路管理者と道路管制行政を担当する警察の理解を得て、昭和46年12月、軌道敷内への諸車の乗り入れの禁止が実現した。また、昭和49年3月から電車の運行をスムーズにするために電車優先信号機を設置した。現在5区間に設置されている。

 さらに、昭和49年から電停の整備を推進しており、安全柵の設置、上屋の新設あるいは増設、停留所島の表層舗装をタイル化などを推進した。これらはすべて広島電鉄の自己資金で実施された。

 また、車両についても大型化と冷房化を進め、現在ではイベント用の車両を除いて全車冷房車となっている。

 宮島線との直通便の拡大にともなって3車体連接車の増備も進められ,鉄道線の老朽化した高床車両を淘汰していった。そして、平成11年、初めてのドイツ生まれの超低床車5000型の登場となる。

低床車両の導入

 平成11年3月13日広島空港に路面電車が空輸された。補助金を受けているため。年度内に取得することが求められての空輸であったという。ドイツ・シーメンス社が新しいコンポーネントの概念を導入して開発した超低床電車で、動力台車のついた短いコンポーネントと、客室の長いコンポネント、そして運転台のコンポーネントを組みあわせて、ユーザーの要求しだいでどのような構成にもあわせることができる設計である。広島電鉄が導入したのは、車幅を拡大し、運転台コンポーネントも大きくオリジナルと異なる広島向け特別仕様の5車体連接車である。全長は、軌道運転規則30mを50cmだけ超えることになったが特認を得た。平成10年度は今回の1編成だけで、11年度内に10月以降3編成、12年度と13年度に4編成ずつの全12編成をそろえる計画である.

 1編成の価格は3億4000万円で、これを鉄道分75%、軌道分25%に分けた上で、鉄道分に対して鉄道軌道近代化補助金が交付された。鉄道分は、2億5500万円で、国と地方がそれぞれ2割ずつを補助するというもの。すなわち、補助金総額は1億1000万円で、そのうち国と地方の補助金はそれぞれ5,100万円である。地方の分担は、県2,550万円、広島市1,550万円、廿日市市、大野町、宮島町があわせて1,000万円である。なお、軌道事業分は事業資産経常利益率が5%を超えるため適用されなかった。また、11年度分以降の補助金については未定であるという。

ターミナルの改造

 一方、軌道の整備については、現在、補助金を受けて、横川駅の駅前乗り入れ(建設省の補助、広島市実施)と宇品の旅客船ターミナルの移転に伴う軌道の延長(運輸省の補助、広島県実施)について調査を実施しているところである。

 また、広島電鉄の独自の事業として、平成11年度広電西広島駅のホーム変更工事を実施する。現在軌道線の終点である己斐の乗降を止めて、西広島駅に宇品方面行きの軌道線の乗降ホームを新設する。また、現行の己斐の乗車ホームが単車と連接車が1本ずつしか停車できないため、駅前の青信号のタイミングでは宇品行きの単車には連接車の続行が可能であるが、連接車同士の続行発車ができない。そこで乗車ホームを発車待機線にするとともに連接車2本停車可能にして、駅前の信号機の1サイクルにコンスタントに連接車2本の発車が可能なように改めるという。

広電独自によるLRT調査

 広島電鉄は独自に、運輸政策研究機構に対して広島市内の公共交通機関のあり方について、調査を委嘱した。この最終報告が平成11年3月にあり、そこでは10年後を目途に平和大通り線西広島−白神社間と駅前通り線広島駅前−稲荷町−比治山下間に路線を新設するとともに、既存路線にLRTを導入すること。また、20年後を目安に宮島線古江駅からデルタ南部を東西にJR向洋までの霞庚午線を新設してJR可部線、芸備線、呉線への乗り入れも盛り込むというもの。

 長期的には地下鉄や新交通システムを延伸すべきであるが、短中期的にはLRTを軸として整備すべきというのが結論であった。 

今後の見通し

 今年(平成11年)2月市長が平岡市長から秋葉新市長に交代した。前市長在任中の1月、市議会で都心の軌道系交通機関として新交通に傾いた内容の市案が発表されたが、秋葉新市長は、選挙期間中「新たな軌道系は導入自体の是非から議論し直す」「平和大通り構想だけでなく、相生通りを含め再検討する」と見直しを公言していた(『中国新聞』平成11年6月13日)。

 当初、6、7月には「東西線を含めた長期的な公共交通体系のマスタープラン」の策定を目指していたものの,これが秋まで延期された。今は新市長の出方をうかがっているという状況で,今後も紆余曲折が予想される。 

※ 本稿は、(「広島市における軌道系交通網の変遷と将来の方向性の検討状況」『季刊 中国総研』7号、1999年)の記述を主に参照。そのほか、広島市と広島電鉄の提供資料をもとにまとめました。


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