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台北(台湾)の地下鉄と新交通システム

佐藤信之

 

記事:『鉄道ジャーナル』平成118月号掲載

注:入稿後の修正については反映しておりません。また、図・表も省略しています。 

 このシリーズでは、これまで国内の鉄道、軌道整備の動向について紹介してきたが、今回は、台湾の台北市の都市交通を取り上げる。10年ほど前までは、東南アジア各国の模範は日本であった。多くの東南アジアの国は日本の事例を分析し、国内政策のモデルとして導入した。しかし、今日では、むしろ日本の事例は一部の技術的問題は別として、もはや模範ではなくなり、日本よりも先進的な制度を現実のものとしている。いまや、日本は東南アジアに学ばなければならないのではないか、、、 

台北市の都市高速鉄道計画

 台北市には国営の台湾鉄路管理局(台鉄)の縦貫線が通っており、都心部を東西に横断している。台北駅から東に進むと松山−南港−五堵、西側へは萬華−板橋−樹林と続く。台湾北部の重要港湾地区である基隆から台北を経由して、南部の中心都市高雄とを結ぶ長距離優等列車が頻繁に発着する幹線鉄道で、現在台北駅は近代化され、台北駅をはさむ区間は地下化されている。台北駅を発着する区間列車が多く設定されているものの、都市内交通というよりはむしろ近郊地域からの通勤輸送が主体であり、都市内交通としては機能していない。その他に台北と淡水を結ぶ淡水線という単線の鉄道路線があった(途中北投で分岐して新北投までの支線があった)が、1時間に2本だけ運転するローカル線然とした路線で、都市路線としては頼りない存在であった。地下鉄計画が策定されたことで、その役割を終えて廃止され、地下鉄淡水線として再生されることになる。

 都市交通を担当していたのは、道路交通が中心であり、路線バスが唯一の公共交通機関であった。経済が成長するにしたがって都市内の経済活動が活発化し、現在のところ南北方向に走る地下鉄、新交通システムを東西方向に連絡する様にバス専用レーンが設定されている。また人口の都市集中によって都心部の道路混雑が深刻な問題としてクローズアップされるようになった。そこで、台北市は、国、台北県、台湾省と協調して、都市高速鉄道網の整備を図ることを決定した。そして、台北市の内局として、1987223日都市高速鉄道の計画と建設を担当する捷運工程局(Dorts: Department of Rapid Transit Systems)を設立した。

 また、この鉄道整備の建設費に対しては、国が50%を補助することになり、残りは台北市内の路線区間に対しては市が、市外に出る路線区間に対しては台湾省が負担することになった。それぞれの負担割合は、台湾省が13.125%、台北市が36.875%である。当初の計画路線の予算総額は、4,418億元と見積もられ、1998年度末までにそのうちの57%に当たる2,529億元が支出済みである。

 最初の認可路線は、淡水線の中正祈念堂−淡水間と北投−新北投間の支線,淡水線と直通運転する新店線中正祈念堂−新店間,新店線の古亭で分岐して南勢角に至る中和線,都心の繁華街を東西に横断する南港線西門−南港間とこれと直通運転する板橋線西門−板橋間および木柵線動物園−忠孝復興(南港線接続)−中山国中間である。その他に、中正祈念堂−西門間の車両回送用の短絡線として維護線が整備され、全6線区1短絡線の88kmの路線計画である。なお、維護線は、車両工場が置かれる淡水線の北投へ南港線、板橋線の車両を回送するために設けられものであるが、途中1駅が置かれる計画であり、もしかすると営業運転を行うことになるのかもしれない。さらに、将来は新店線を淡水線との直通を止めて松山線として南京東路方面に延長されることになるが、その際に維護線は新店線の本線に編入される計画である。

各線の概要

淡水線=淡水−中正祈念堂間の本線と北投−新北投間支線から成る全線22.8kmの路線。元台鉄淡水線の線路敷を転用した圓山以北が高架と地平路線で、都心側は地下路線となる。軌間1,435mm、750V第3軌条方式の本格的メトロである。

木柵線=中山国中(中学校)から復興北路、復興南路と南に直進し、科技大楼で東に折れて和平東路を麟光まで都市街路の中央部を高架橋で進む。さらに動物園までの郊外部については都市街路から分かれて、単独の高架橋が続くことになる。全線10.9kmの路線で、この路線のみ側方案内式のゴムタイヤ方式の新交通システムVAL256である。

新店線=中正祈念堂から公園路、羅斯福路、北新路の地下を新店まで至る10.3kmで、全線地下路線である。

中和線=古亭で羅斯福路から分かれて師大路、永和路、中和路、景安路を南勢角に至る5.4kmの路線で、全線地下路線。

南港線=縦貫線南港駅から都心部までの路線計画のうち、昆陽と都心の西門間の路線が建設中である。縦貫線のすぐ南に添うようにして忠孝東路を西に進み、淡水河にぶつかる西門を終点とする。10.3kmの全線地下路線。

板橋線=南港線西門から淡水河の東岸を中華路、文化路、南雅南路を板橋から、さらに土城に至る12.6kmの路線で、全線地下路線である。

維護線=南港線西門と淡水線中正祈念堂を結ぶ1.6kmの地下路線。

 一方、これらの都市高速鉄道の運営主体は、台北大衆捷運股■有限公司(TRTC:Taipei Rapid Transit Corporation)である。当初最初の路線が1991年に開業する予定であったため、それまでに運営会社の設立を済まさなければならないということで、まず19901218日台北捷運公司準備処が設置された。そして、1994年7月29日公司法第128条の規定により台北大衆捷運股■有限公司が創設された。日本でいう商法上の株式会社であるが、この会社への民間部門の投資意欲は薄く、設立時の資本構成は、台北市73.74%、台湾省17%、台北県8.75%、唐栄鐵工廠、台北銀行、交通銀行、農民銀行計0.51%となった。資本金の99%までが公的主体の出資で占められ、民間部門も国民党系の銀行、企業であるという。

 この会社は、台北市政府から路線の運営について委託契約を交わすが、1路線目の木柵線の開業にあたっては、開業当初十分な旅客量が見込めないことから、5年間にわたり使用料を各年1元とすることを取り決めた。そのため、この期間、会社が負担することになるのは、税、水、電気、修繕費、その他関連費用ということになった。一方、収益はすべて会社に帰属した。淡水線の開業後も、損益計算書に線路使用料についての記載が見られないので、淡水線についても同様に資本費の負担を回避する規定を設けたのかもしれない。

中量輸送機関(新交通システム)

 台北市の都市高速鉄道の1路線目として、19881215日木柵線の起工式が執り行われた。側方案内式のゴムタイヤ方式の完全自動運転による新交通システムで、都市街路中央の高架橋を走行する。

 当初木柵線は、1991年末に開業させる予定であったが、初めての都市公共交通の整備を手がけるとあって、経験不足からさまざまな問題を生ずることになった。とくに省と市の権限分担が明確でないため、トラブルに柔軟に対応できないという問題が指摘されている。さらに煩雑なライフラインの移設や建設従事者の不足などの問題が加わって、プロジェクトを遅滞させた。

 営業運転に先立って1992年動物園駅と車両基地周辺の路線を完成させて、試運転を開始したが、車両火災、脱線、タイヤ破裂が相次ぎ、開業予定が大幅に延期されることになる。すなわち、車両火災は199355 辛亥駅付近と1993924日六張■駅付近の2件。あわせて2両の車両を開業前に失った。また、脱線は、1994830日と19941022日にいずれも機廠区で。タイヤ破裂は、1994924日中山国中駅、1995619日萬芳医院駅、199584日大安駅付近で発生した。

 さらに、高架橋の橋脚の強度不足で亀裂を生じたことから、1994520日橋脚13個所の補強工事を開始。1994925日に完了した。

 このような事故が相次いだことから、市民は安全性についての疑念をいだくことになった。そこで、台北市は、不安を払拭するために、1995年3月10日内外の専門家を招聘して木柵線体検委員会を設置、5月15日までの2ヶ月間にわたって調査、検討が進められた。

 さらに、19951217日障害者団体などの市民団体を招いて試乗会を開催。また1996227日から325日の間、無料で開放してこの期間にのべ180万人が乗車した。

 そして、1996328日に木柵線は開業した。

 当初600分から2200分まで、ピーク時平均4分30秒間隔、その他平均5分30秒間隔で運行した。1列車4両編成で、車両数は25編成と2両の計102両である。1列車定員456人。

 1998年現在、終電時間が1時間遅くなって2300分となり、運転間隔もラッシュ時は2分ないし4分間隔で運行で、朝ラッシュ時平均2分45秒、夕ラッシュ時平均3分5秒間隔。その他の時間帯は、4分ないし10分間隔で運行して、平均5分42秒の運転間隔である。

 旅客数は、1997年度1,478万人から98年度は1,682万人にに14%増加した。また、1日平均乗客数も、97年度平均40,496人、981048,750人、981156,207人、981256,556人、99153,881人と推移している。おおむね、ゆりかもめの7割、横浜新都市交通に匹敵する数値である。

大量輸送機関

 木柵線が自動運転の中量輸送方式を選択したのに対して、その他の淡水線,新店線,中和線,板橋線,南港線,維護線は軌間1,435mm、第三軌条方式の本格的メトロの方式が採用された。

 このうち淡水線は、台鉄の元淡水線の用地を転用してトップを切って開業することになったが、それでも199211月にはテスト車両の搬入が済んでいたものの、営業開始は大きく遅れることになった。

 1988722日に工事に着手するが、用地取得、好景気の中での工事となったことから労働力の確保、用地取得、ガス管、水道管などのライフラインの移設、残土処理場所の確保などが難航。また、市民の安全性にたいする流言蜚語の流布があって、工事が大きく遅れて、結局淡水〜中山間を開業したのは1997328日であった。中山は台鉄の台北駅の1駅北隣であり、徒歩連絡が必要となるが一応台鉄路線との連絡も果たした。同年1225日には残す中山−台北駅間を開業して、予定区間の全線を完成させた。

 600分から2300分の間、ピーク時は6分ないし8分間隔の平均647秒間隔。その他時間帯は8分ないし10分間隔の平均8分46秒間隔で運転する。新北投への支線は、終日8分ないし10分間隔。1編成6両で、22本が投入され、車両数は132両である。車両の寸法はJRの電車を一回り大きくした全長23.5m、車幅3.18mで、6両編成1列車の定員は、10310両編成の5割増し2,200人と発表されている。

 開業後の利用状況を見ると、部分開業となった1997年度の利用者数こそ 395万人にとどまったが、1998年度には2,990万人へと営団南北線の同規模の利用者数にまで増加した。木柵線に比べても2倍近い数値である。

 また、1日平均旅客数は、9810122,407人、9811138,756人、9812180,671人、991230,718と推移しており、とくに199812月の増加は、新店線−中和線の開業の効果が現れたものである。台北駅どまりの列車は新線に直通して南勢角まで運転されるようになった。

 19981224日中和線開業が祝われたが、この時開業したのは、淡水線台北駅−中正祈念堂間、新店線中正祈念堂−古亭間、中和線古亭−南勢角間の3路線で構成されている。もともと1999年6月12日に開業を予定していが、沿線がとくに道路の混雑する地域であることから、開業を半年余り繰り上げることになった。

 なお、19961122日に確定された各線区開業予定は、

木柵線 1996年3月28日(開業済み)

淡水線 淡水−中山間 1997年3月28日

    全線 1997年12月25日

新店線 全線 1999年11月30日

中和線 全線 1999年12月31日

南港/板橋線 混陽−江子翠間 2001年6月30日

板橋線 江子翠−土城機廠間 2005年8月31日

のとおりであった。

今後の路線建設

 全体的に路線整備が遅れ気味であるため、台北市長は市政の重点施策として『1年1条(路線)』『5年5条(路線)』を強調した。すなわち、96年木柵線、97年淡水線、98年末には3路線目として新店線・中和線台北駅−古亭−南勢角間を開業させたが、さらに99年末に4路線目として新店線全線と南港線・板橋線の先行開業区間龍山寺〜市政府間。2000年に5路線目南港線市政府〜昆陽間を完成させるというもの。その後板橋線龍山寺〜新埔間の路線延長を実現することになる。

 なお、現時点での開業予定を整理すると、
南港線・板橋線 龍山寺−市政府間 1999年12月31日

        市政府−混陽間  2000年12月31日

        新埔−龍山寺間  2001年6月30日

新店線2期   古亭〜新店    1999年11月30日

 板橋線は、板橋までの路線と土城機廠(車両基地)が計画されていたが、その後永寧まで計画路線の延長が決定(土城線)し、新埔(板橋の2つ北隣)〜永寧間と土城機廠を2005年8月31日に開業させる計画である。また木柵線についても中山国中−松山空港−南港−貿園間の路線延長が決定していたが、98年7月31日市議会の交通委員会で中量輸送機関のVALの方式をやめて大量輸送機関へ変更することが議決された。その際に路線名も内湖線に改められた。都心側が中量輸送機関であることから、輸送力不足が心配されるが、VALには工事中から事故や施工不良などで苦労したことに懲りたのであろう。

聯合開発

 台北市の都市高速鉄道網の整備にあたっては、聯合開発という手法が取られた。駅施設を建設し、また駅周辺の再開発を行う上で、市が一部の土地を取得して周辺の民有地とあわせて高層ビルを建設しようというもの。市は用地取得とビルの建設費用として1994年に5億元を支出して台北市大衆捷運系統土地聯合開発基金を設置。建設されたビルの一部を保留床として市が処分して。市の支出した初期投資分5億元の償還に当てられる。木柵線沿線に建設された科技大楼がこの最初のケースとなった。

 聯合開発の条件として、市有地が51%以上であること。内部収益率が20%を超えることを規定し、市が設置した土地開発の専門機関が実際の業務を担当する。

 初期整備路線7線については、32駅、3機廠に47個所。次期整備路線である新荘線と蘆洲線についても、初期選定分として1116個所の開発が決定している。

次期計画路線

 最近、次期計画路線50.8kmが発表された。古亭から都心を迂回して市の西郊に抜ける新荘線,蘆洲支線。南港線東延長線。信義線。松山線,環状線の6路線である。

 南港線東延長線は南港から東方に進んで台鉄縦貫線の南港貨物操車場を経て台鉄路線に沿って汐南公園に至る路線である。あわせて台鉄の線路の地下化も実施するという。1998617日に(中央政府)行政院で路線計画が決定した。

 松山線と信義線はいずれも都心を東西に走る路線で、南港線を挟んで北側に松山線、南側に信義線が位置しており、また、松山線と南港線の中間に台鉄の縦貫線がある。完成後、信義線は、現在新店、中和線に直通している淡水線が乗り入れ、松山線は、新店線が維護線を経由して西門から直通運転を行う。

 この2線については、1998116日に台北市の交通部で、民間投資(BOT)の可能性についての分析が報告された。今後、建設、運営を担当する民間企業が物色されることになるのであろう。ただ、現在のTRTC自体、株式会社として民間資本を受け入れることを想定していたにもかかわらず、民間側が出資に消極的であったということがあった。これが公的主体による経営支配に拒否反応を示したためであるならば、民間が完全に主導するBOT方式に対しては、手を挙げる企業が出るかもしれない。あるいは、台北の交通需要は旺盛で、いまだ供給不足の状況にあるので、日本のディベロッパで名乗り出る企業があっても良いのではないだろうか。

 新荘線と蘆洲支線は、もともと市街地の西側への広がりを制限していた淡水河を超えて、さらに西側の新開地へ向けて路線を伸ばす計画である。蘆洲支線は淡水河の中洲内を、新荘線はさらに西側の近郊地帯を線路が伸びることになる。

 行政院は、1998715日「台北都会区大衆捷運系統後続路線網新荘線及蘆洲支線走廊建設計画之財務計画」を決定したが、それによると総建設費のうち、自己負担として15.41%を控除した後の75%について中央政府が補助するというこの時点での総工事費は1676.90億元と見積もられた。

 次期整備路線のタイムスケジュールは、
 新荘線県轄区間  土木着工2001年 完成2009.6

 新荘線市区区間  土木着工2000年 完成2008.12

 蘆洲支線     土木着工2002年 完成2009.12

 松山線      土木着工2002年 完成2009.12

 信義線      土木着工2002年 完成2009.12

 淡海新市鎮延伸線 土木着工2002年 完成2010.12

 淡海線については、 1998412日淡水にある淡江大学で公聴会が実施されたというが、路線については報告書類に記述がないので不明。

 なお、これらの次期整備路線のほかに環状線の構想がある。新店線の大坪林を起点に、中和線景安,板橋線板橋,淡水線士林を経由して、内湖線B2駅(中山国中の2つ北隣)に至る路線である。しかし、現在のところ計画は棚上げにされている。

・拙著「アジアにおける都市交通整備の動向」(山内弘隆偏著『日本版PFI』地域科学研究会、平成11年刊)参照。

・本稿は、亜細亜大学アジア研究所の研究プロジェクトの一環として収集した資料をもとにしている。


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