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上飯田連絡線について

佐藤信之

 

記事:『鉄道ジャーナル』平成1012月号掲載

注:入稿後の修正については反映しておりません。また、図・表も省略しています。 

 上飯田連絡線は,名古屋市内の名鉄小牧線と既設の地下鉄の駅とを連絡する地下鉄新線である。愛知県,名古屋市,名古屋鉄道が中心になって第3セクターを設立した。1996年に着工して,現在2000年度の開業を目指して,工事が進められているところである。 免許取得まで

 1993年4月,愛知県,名古屋市,名古屋鉄道は,第3セクター設立を目指して「上飯田連絡線建設準備委員会」を発足させた。

 同年11月準備委員会で出資計画が固められたが,この段階では公団P線方式の採用と自治体からの無利子融資を軸としたものであった。9月に当時の佐藤自治相が,自治体の起債による無利子貸付の制度を第3セクターに拡大することを示唆したことを受けてのことである。

 すなわち,建設費用は総額710.64億円で,20%が出資,30%が無利子融資,残り50%が鉄道公団資金を充てるというもの。(『朝日新聞』93.11.12夕刊)鉄道公団,営団が実施する都市鉄道整備に対して国による40%の無利子融資の制度があり,同時に自治体に対しても同率の無利子融資を求めることになっているが,この自治体による無利子融資に転貸債と交付税措置を組み合わせたものというイメージであろうか。

 ただし,すでに同年8月の平成6年度予算概算要求で,運輸省は第3セクターに対する地下鉄建設費補助を盛り込んでいた。この段階で対象事業として想定されていたのは,埼玉高速鉄道と上飯田連絡線の2線であった。また,自治省も,公営による地下鉄建設事業に対して「地下鉄緊急整備事業」を創設するが,併せて第3セクター事業者に対する転貸債の起債と交付税措置から成る助成策を概算要求に加えていた。こちらも対象事業として想定したのは,埼玉高速鉄道と上飯田連絡線の2線であった。

 平成6年度予算は,景気の回復を図るための積極財政をとることとし,とくに都市鉄道について「公共事業」への格上げを行って,一般経費に対するシーリングのたががはずれることで,予算額の大幅な増額が可能となった。しかし,公共事業費の省庁間での割り振りはほぼ固定しており,また運輸省内でも都市鉄道の枠の拡大を穴埋めする形での他の部局での予算の減額への警戒から,地下鉄整備の一層の整備に対して他省庁の財源による助成策を組み合わせることが必要と考えられたのであろう。

 結局,上飯田連絡線の資金の枠組みが固まるのは,平成6年度予算案が提示されるまで待たなければならなかった。

 しかし,ここで政治改革関連法案の扱いを巡る国会の混乱に巻き込まれ,政府による予算案の提示は年を越してしまった。さらに,上飯田連絡線のような第3セクターに対する地下鉄建設費補助の対象事業の拡大が決められたのは,2月の復活折衝の場であった。

 そして,1994年1月第3セクター「上飯田連絡線」が設立され,代表取締役社長に愛知県副知事,取締役副社長に名古屋市助役と名古屋鉄道副社長がそれぞれ就任した。
計画の概要

 上飯田連絡線は,名古屋鉄道小牧線の**と名古屋市交通局の地下鉄名城線平安通間3.3km(建設キロ)を結ぶ路線である。この路線は,大別すると大きく2区間に分けられる。現在の名鉄小牧線を代替する味鋺−上飯田間と,全くの地下鉄新線区間である上飯田−平安通間である。

 そして,第3セクターの上飯田連絡線株式会社が第3種鉄道事業者として全線の建設主体となる。しかし,実際に自社で施工する区間は無く,小牧線の並行区間である上飯田−味鋺間の工事については日本鉄道建設公団に,味鋺駅を含む既設線との接続部分は名古屋鉄道に,また上飯田−平安通間は名古屋市交通局に委託された。

 また,味鋺−上飯田間は名鉄が第2種鉄道事業者として,現在の小牧線に引き続き運行を担当。上飯田−平安通間については名古屋市交通局が同じく第2種鉄道事業者となる。

運輸政策審議会  12号答申(1992年)では,平成20年までに整備することが適当な路線として,平安通から新栄町,丸田町までの延長路線が示されており,丸田町では,都心を東西に横断して笹島と高針橋を結ぶ地下鉄東部線との直通を行うという。また東部線は笹島でJR東海の関西線あるいは西名古屋港線との直通を検討事項としているので,いずれは地下鉄を介してJRと名鉄の直通が実現するのかもしれない。

 上飯田連絡線は,このような,交通局が整備主体となる市内の地下鉄計画の一環として位置づけられることから,第3セクターが運営主体となるのではなく,市交通局が運営することになった。市交通局は,当分の間1駅だけのミニ路線であるものの,車両は自前で用意する。

 また,建設主体として第3セクターを新たに設立した背景を考えると,名鉄や市交通局など,利害関係者が多く,利害調整を計るために第三者的組織を設ける必要があったこと。さらに,上飯田連絡線は,小牧線と直通して北部周辺自治体の交通改善が期待されることから,名古屋市単独のプロジェクトとしてより,愛知県や関連自治体との協調が必要とされたことが指摘できる。

出資,財源,工事費

 建設費総額743億円で,20%を出資金,32.9%を補助金,残り47.1%を自己調達する。

 授権資本は145億円であるのに対して,現在のところ払込済み資本金は66億円である。大口株主の出資比率は,愛知県34.2%,名古屋市23.3%,名古屋鉄道21%と続く。公共主体の出資比率を合計すると70%となり,残り30%が名鉄グループのほか,中部電力,トヨタ自動車や銀行など16社が名を連ねる。

 自治体の出資分については,90%までの出資債の起債が認められ,その元利償還の30%が基準財政需要に算入される,交付税措置が講じられる。

 地下鉄建設費補助は,1994年採択時の制度では,対象事業費の70%を国と自治体が折半で,建設等年度一括で補助するというもの。上飯田連絡線に対しては,第3セクターということで,補助率が半分の35%に制限された。間接費や総経費を加えた総事業費に対しては,32.9%ということになる。自治体の補助金については起債は認められないが,交付額の30%について交付税措置が認められる。

 また,自己資金の内56.8%は,自治体の転貸債の起債による貸付金で,当初検討された無利子融資ではなく,有利子の貸付金である。交付税措置もない。転貸債に対する交付税措置とは,元利償還の一部を自治体の一般会計が負担する場合にこの一部を基準財政需要に算入する形となるのであろうが,公営企業の企業債とは違って,基本的には対象が民間企業であるので難しいのであろう。残りが日本開発銀行による融資となるが,公共特利5の指定による低金利の融資である。

名鉄小牧線の輸送力増強

 日本経済の高度経済成長にともない,都市への経済力や人口の集中傾向が続いた。その結果,名古屋市と小牧,犬山などの北部周辺自治体とを結ぶ名鉄小牧線の輸送需要は拡大した。  1955年の年間輸送人員は509万人であったのが,1965年には883万人へと,73%の大幅増加を見た。同じ期間隣の瀬戸線の輸送量は微増程度であった。しかし,1971年に上飯田に乗り入れていた市電が廃止され,都心へはバス連絡となったため,以後輸送量は低下してきている。1973年それまでの昼間1時間2本運転を,小牧−上飯田間の区間運転を2本増発して1時間4本運転に増強。これにより前年より10%輸送量が増えて1,207万人となるが,翌1974年の1,267万人をピークに旅客数は低下に転じた。

 1972年の都市交通審議会答申では上飯田−金山間の地下鉄7号線と小牧線の複線化が盛り込まれた。これを受けて,名鉄は,19769月小牧−上飯田間の複線化に取り組むことになるが,とりあえず小牧−間内間(19775月完成)と豊山信号所−味美間の部分複線化を実現するに止まった。小牧線を活性化するには,やはり上飯田での都心乗り入れ路線の建設が待たれた。

 以後,通勤時間帯に小牧−上飯田間の区間列車の増発をこまめに進め,現在は朝通勤時同区間10分運転を実施している。その一方では,昼間の区間列車は廃止され,犬山−上飯田間1時間3本の運転となっている。犬山−小牧間では増発であるが,小牧−上飯田間は15分間隔から20分間隔にサービスが後退した。また編成両数は,3両編成を主体に,混雑時4両,閑散時2両編成が加わる。

 名古屋鉄道は,1996年8月,上飯田連絡線の建設に併せて,直通相手の名鉄小牧線の複線化に着手した。総額170億円を投じて,
@味鋺−小牧間完全複線化
A間内車庫の建設
B小牧−犬山間行き違い設備の設置
などを実施し,2000年度の完成を目指す。

現在単線の味鋺−味美間と豊山信号所−間内間の複線化を完成すると,味鋺−上飯田間が上飯田連絡線へ代替で廃止されることで,小牧線の小牧以南の複線化が完了する。

 また,小牧以北についても味岡での行き違い施設と羽黒駅構内と羽黒−犬山間の途中までの区間を部分複線化を実施する。これによりピーク時犬山−小牧間1時間3本を1本増の4本に増強するほか,上飯田−小牧間3分20秒,小牧−犬山間1分30秒のスピードアップが可能となり,昼間犬山−上飯田間32分を27分にまで短縮する。

 開業後は地下鉄直通用の小牧線専用車両32両が新造され,名古屋市交通局の用意する車両と平安通−犬山間の相互直通運転を実施する。編成両数は4両編成。


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