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千葉急行電鉄の事業譲渡について

                  佐藤信之

 

記事:『鉄道ジャーナル』平成1011月号掲載

注:入稿後の修正については反映しておりません。また、図・表も省略しています。 

千葉急行電鉄の概要

 千葉急行電鉄は,現在第1期区間として千葉中央−ちはら台間を営業中である。さらにちはら台から辰巳台方面に至る区間を第2期として計画しており,最終的には小湊鉄道の海士有木までを結ぶことになる。

 この路線は,もともと小湊鉄道が1957年沿線からの物資を移出するために計画したものであるが,その後京葉工業地帯の後背地として住宅開発が進むと旅客主体の鉄道に変わっていった。しかし,小湊鉄道はこの鉄道は荷が重かった。

 転機となったのが,宅地開発公団による千葉東南部,千原台ニュータウン計画の登場である。ニュータウンの区画整理事業は1977年に認可を受けた。

 これにあわせて1973年京成電鉄が中心となって千葉急行電鉄を設立。1975年には小湊鉄道から鉄道免許を譲り受けた。さらに1977年千葉県,千葉市,市原市,53年宅地開発公団が相次いで出資することになった。

 出資比率 昭和63年3月

 千葉県  8.3%  京成電鉄  24.8   金融機関 8.3

 千葉市  12.5   北総開発鉄道 1.7   その他  23.3

 市原市 4.2   小湊鉄道   8.3

 住都公団 8.4   その他鉄道  1.2

 そして,1977年鉄道公団P線工事に採択されて同年8月に工事に着手。1992年4月1日千葉中央−大森台間,1995年4月1日大森台−千原台間を単線で暫定開業した。

千葉急行電鉄対策案について

 かねてより経営困難が報じられていた千葉急行電鉄であるが,京成電鉄への営業譲渡により,自主廃業することが決まった。

 199863日運輸省は,出資者の京成電鉄,千葉県,千葉市,市原市,住宅・都市整備公団と日本鉄道建設公団を集めて「第二回緊急対策会議」を開催。そこで,運輸省案について基本的に合意を見た。6月4日付け『読売新聞』京葉読売では,今年に入ってから,主要な出資者が国に調整を依頼する形で協議が進められていたと報じる。この点については,運輸省主導によるものとの噂も聞かれるが,確証はない。

 今回合意に達した内容は,次の4項目である。

1.千葉急行線の運営は,京成電鉄が引き継ぐ

2.現在の千葉急行電鉄の鉄道資産および鉄道公団の所有する千葉急行線関係資産は併せて,一体として京成電鉄,同社グループおよび関係地方公共団体に譲渡

3.関係地方公共団体が所有することになる千葉急行線資産は,将来同線の複線化が実現する際に,京成電鉄に譲渡

4.千葉急行線の「ちはら台」以遠の免許についても,京成電鉄に譲渡されることになり,その延伸については,複線化後の輸送人員の動向などを勘案して検討(『交通新聞』199865日付)

千葉急行電鉄の経営状況

 千葉急行電鉄は,鉄道の開業が大きく遅れたことから,営業収入は高架下の駐車場収入などごく限られたものでしかなかった。そのため,開業以前にすでに経営は苦しかった。そのような中,1988年には市原市内の京成電鉄と千葉急行の鉄道予定地を含む所有地が処分されていたことが明らかとなった。これは海士有木までの早期実現を目指していた自治体に無断になされたものであったため,物議をかもすことになった。

 千葉急行電鉄は,1992年度営業収益16億円に対して9億円余りの営業損失を計上した。そのうち4億5千万円あまりが減価償却費である。営業収支率(営業収益/営業費用)はわずか15%にすぎないという状況であった。それに,金利払いなどによる営業外費用18億円が加わって,不動産事業による13億円の営業利益の甲斐なく,13億円余りの全事業経常損失を生ずることになった。翌1993年度には30%余り営業収益が増加したものの,営業収支率が3ポイント上昇したにすぎず,営業損失は若干悪化した。

 1994年度には次期繰越損失は30億円に達し,資本金24億円を超えることになった。創業以来1度も利益を計上しないために準備金はゼロであるので,開業3年目で早くも債務超過に陥ることになる。

 1997年度の決算状況は,鉄道業営業収益770百万円に対して営業費用1,958百万円で,営業損益は1,181百万円の赤字と若干改善されたが,全事業経常損益では前年度とほぼ同じ2,656百万円の赤字という結果となった。このため,1997年度末の累積債務は106億円となり,資本金34億円の3倍を超え,債務超過額は72億円に達した。

ニュータウン新線の補助制度

 ニュータウン新線に対する公的助成の基本は,ニュータウン開発者の負担と国や地方自治体による補助金の2本柱で成り立っている。そして,開発者による負担は,ニュータウン区域外の最寄り駅までの用地の取得に対する一部の費用負担と,施工基面以下の工事費の半分の負担である。補助金は,補助対象建設費の36%を国と自治体で折半で補助するもの。この制度での補助対象建設費は,総建設費から測量監督費,総経費,建設利子など間接費を差し引き,さらに開発者負担金を控除した額の90%である。補助対象者は,公営あるいは地方自治体が出資する公営に準ずる事業者,もしくは住宅・都市整備公団である。公営に準ずる事業者とは,現実には公共出資が51%を超える事業者に限定されている。

 出資比率 平成10年3月

 千葉県  8%  市原市 4  住都公団 8   ほか

 千葉市 12          京成電鉄 31

 民間事業者に対しては補助金は交付されないが,その代わりに鉄道建設公団のP線方式による国と自治体による5%を超える金利の補填の制度が用意されている。通常P線方式では譲渡代金は25年間の元利均等償還であるが,ニュータウン線については開発者による負担があることから,償還期間が15年に短縮される。

 千葉急行電鉄の場合,自治体が出資していることから一般に第3セクターと呼ばれているが,公共出資は24%にとどまり,補助金交付の基準を満たしていない。制度上,まったく民間事業者として扱われた。全線日本鉄道建設公団のP線方式が適用され,ニュータウン内の路線建設に対して住宅・都市整備公団から開発者負担金を受け入れた。

 第1期区間の譲渡価格420億円(『千葉日報』1994.3.25)として,この譲渡価格には償還期間の5%までの金利負担が含まれているので,年あたりの支払額は,単純にこの額を15で除した28億円ということになる。ただし,千葉中央−大森台間4.3km1992年3月31日,大森台−ちはら台間6.8km1995年3月31日に譲渡されたので,工事費の内訳を前者240億円(『交通新聞』1992.3.6),後者180億円(ほかに開発者負担金充当)とすると,最初3年間(199395年度)の1年あたり償還額は16億円,4年目から28億円と推計できる。平成9年度末までに100億円償還し,残額は320億円であるという。

 もし当初より公共出資比率が51%を超えていたならば,当然補助金が交付されたばすであるが,大雑把に計算すると,補助金額は千葉中央−大森台間68億円,大森台−ちはら台間52億円となる。6年分割であるので,1年あたり前者11.3億円,後者8.7億円となる。1996年度までの補助金受給額は総額51.3億円と計算される。

千葉急行電鉄の解散までの段取り

 千葉急行電鉄は,現在千葉中央−ちはら台間を営業中であるが,ただし単線による暫定開業である。もともと平成12年に複線化して本開業を迎える計画であった。そのため,現在単線部分だけが譲渡済みで,複線化用の部分は鉄道公団が所有している。

 この内,すでに譲渡済みの施設については,譲渡代金の未返済分について代物弁済として公団が引き取り,その上で京成電鉄に譲渡される。一方,複線化施設については,とりあえず自治体に譲渡して,将来複線化を実施する際に,京成電鉄に譲渡されることになる。

 8月10日運輸省は,千葉急行の処理方針を固め発表したが,譲渡済み施設320億円と公団所有の施設300億円を時価500億円に再評価のうえ,450億円分を京成電鉄グループに,残り50億円分を県と千葉市,市原市に譲渡するというもの。この再評価による120億円の評価損については,現実には公団の債権の形で存在している訳であるが,国の一般会計からの助成を求めるという。また,出資金34億円は全株主が放棄することになる。(『千葉日報』1998.8.11)

 最終的に,債務超過72億円分の処理が課題となるが,鉄道公団を除くと最大の債権者である京成電鉄が相当部分を負担することになるのであろう。一部については,県,千葉市,市原市が負担することも考えられる。

 今後の日程は,9月末をめどに営業譲渡を実施して,10月1日に会社を解散。今年度内に清算手続きを済ませたいという。

おわりに

 1989年現在,千葉東南部,ちはら台ニュータウンは計画人口それぞれ8万人,5万人に対して,現住人口6,700人,1,400人に止まった。千葉急行電鉄が部分開業した1992年の時点でも,なお宅地造成の30%を終えたにすぎなかった。

 千葉県は,京成電鉄に対して千葉急行電鉄の早期開業を要請した。京成電鉄はニュータウンが熟成していない段階での開業に不安を持っていた。さらに,ニュータウンの造成主体である住宅・都市整備公団も,JR外房線で十分対応できると考えていた。実際,平成7年に開業すると1日1km当たり輸送人員は4,661人と,国鉄の廃止対象とされた特定地方交通線に匹敵する閑散振りであった。

 京成電鉄が千葉急行電鉄を起した当時は,計画人口13万人ということで,十分採算に乗るプロジェクトと認識していたのであろう。しかし,ニュータウンの造成は大きく遅れ,鉄道施設はほぼ完成したというのに,沿線に人口が張り付かないという現実に直面する。京成電鉄は経営が成り立たないと考えて開業を控えたが,県はニュータウンの人口が増えないのは鉄道が開業しないからだとして,鉄道の早期開業を目指した。その結果,現在の経営破綻につながる。

 しかし,もし公共出資51%以上が実現していたならば,資金事情は大きく改善されていたかもしれない。また,出資率分の自治体による財政援助も期待できたであろう。結果的に,千葉急行電鉄の解散にともない,京成電鉄が大きな負担をしなけれればならないことになってしまった。手元の1994年3月期決算『有価証券報告書』では,千葉急行電鉄に対する長期負債として,80億円の長期貸付と28億円余りの利息の未収金が計上されているほか44億円余りの債務保証を行っている。現在では長期債務額は若干大きくなっているものと思われる。

 結局,京成電鉄の負担は,出資金10.5億円,数十億円と予想される貸し倒れに,将来回収の見込みのない鉄道施設の購入費450億円と1年あたり10億円あまりの営業損失が加わることになるであろう。600億円を要した阪神電気鉄道の震災復旧に匹敵する金額(災害復旧補助金が交付された)である。

 京成電鉄は,ほかに北総開発鉄道という第3セクターを関連会社に持つが,これも京成電鉄が筆頭株主で,公共主体が支配株を持たない。また,東葉高速鉄道についても,創業時帝都高速度交通営団とともに12.9%を出資して筆頭株主の地位にあった。ただし,現在では自治体による増資引受けで逆転している。

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